ito_kei2009-11-07


野生動物救護をしていると言うと、多く「動物好きの動物愛護的行為」と思われることが多いです。


ご立派な行為でもないし、御苦労さまな行為でもないし、やさしい行為でもないと思っています。
エゴに近く虐待に近いことも多いです。
暴れ逃げようとしている動物を無理やり取り押さえて、その個体の意志にかかわらず生死を決めて
切ったり張ったりいじくったり血を採ったりぐるぐる巻きにしたり
動物たちが感謝しているなんて、絶対絶対にかけらもありません。


とはいえ来た以上はやるしかないし、何とかしてと訴える声に出来るだけしますよと応えるのも道理と思う。
予後診断は極論その場で出来ることも多いけど
それでも出来るだけやったというものがほしかったりする。
救護された方に対しても「出来るだけの対応はしてくれた」と認識して、それが野生動物への関心や次へつながると思っている。


どちらかというと臨床の人なのかなと自分で思う。
なんでこうなったんだろう?その治療法は、その後のケアは、投薬は、もっといい方法ってないのか。
そういう部分追及したがりで、当たればうれしい。
もっといい方法でできたんじゃないかと思う。
次同じような状態のものが来たら、もっとちゃんとやってみようと思う。
(こう思うのは当たり前と思ってきたけど、周りを見るとそうでもないらしい)
何より一つ一つちゃんと命と向き合ってわかることもとても多い。
ドライにやり過ごしていたら気がつかないことも、きちんと向き合うとわかることも多い。


所詮野生動物がヒトに捕まった時点でアウトだし、自然淘汰でもある。
だからそこまでする必要はないとも言われる。


でもこうしていわゆる救護の現場にいて、拾ってくる方の声を聞いている立場となると
そんなドライなこと言ってて果たして世間が付いていくのか疑問になる。
少なくとも「生態系は云々」とまっとうなことを言って、何とかしてほしい!という声に対して
「冷たくされた」と思う人も多いように感じる。
何百万かけろって意味じゃなくて、伝え方ひとつとも思うけど
「出来るだけはする。でも、点滴つないで生きてればいいというものじゃないからダメな時はそういう判断もしなきゃいけない。
次に同じことを起こさないように環境をよく見るようになってほしい」と伝えるだけでも違うような気がする。



「itokeiも救護の人だからなあ〜」と言われることがある。
何か「愛護の人だからな〜」と言われているような、なんとなく
「何もわかってないなあこの人」とか
「生態系とかわかってない人だからなあ」とか
「感情論で話にならないからなあ」みたいな風にとらえてしまう。
そこまで言ってるつもりじゃないかもしれないけどさ。
一頭一羽助けたって意味ないじゃん、何のためにやってるの、というような。


生態系から考えたら意味がないのもよくわかるけど
じゃあ殺していいってことになるわけじゃないし
感染症のモニタリングだったり、なんらかの環境の異変の信号だったり
そこに普及啓発的な意味合いがとてもあるからこそやっているし
やるだけやる姿はさっさと殺す姿よりも一般の方はついてくると思うのだか。
一個体見えなくて、その先が見えるのか、その先が見えなくて、一個体が見えるのか。
そんな感じ。


とりあえずさっさと殺す姿は賛成しがたく
多分間違っていないであろう予後判断ですら「そうでしょうか!?」と喰いつくようになってしまった。
「救護の人だしな」と言われるとあまりい気分はしない。「そんなこと言って人が付いてくるのかい!?」となったり。
別にかわいそうだから助けているってだけじゃないよ。そこに救護者や動物好きでなんとかしたくてここに来ている学生のこころもあるから治療行為をするのだよ。
治療行為をした以上、最後までやりとおさねばならぬのよ。
ちがうかな。


あー我ながらおとなしく出来ない性分らしい。