動物(だけに関わらず)を見ると
すごい・かっこいい・珍しい!あれやこれやの感情があって
その延長に
手に入れたい!飼いたい!
がある人ない人、人それぞれ
誰にでもあるであろうその気持ちがどこまでに及ぶかって人次第
鳥屋、虫屋、ナントカ屋(つまりバートウォッチャーだったり虫が好きとかそういうのを「○○屋」と呼ぶ)
そのひとつみたいな感じで、「飼育屋」があるようにも思っています。
だから飼育屋さんってひとつのジャンルみたいな感じです。


違法飼育でも「好きだったから捕まえた」という理由で
それはそれで結構頑張って世話をしていることもあって
決してその「好きだった」という理由は嘘じゃないと思う。
手に入れたい欲、飼いたい欲
好きだからこそ手に入れたい
多少強引だとしても
そういう感情は否定できない


誰もがどこまで及ぶかは分からないし
私も魚飼ったりしているのも同じで
魚捕り用の網しかけてテナガエビが入ってた時はやっぱり飼った。
それは多分同じ感情の派生
古代魚もいるけど、それもかっこいいから、憧れるから
そこからの派生
その姿を見て思いをはせる、同じこと


自分の許容を超える生き物に関しては手は出さないけど
その「許容」って自分にしか分からない
そこに法律だとか、常識的制限は出てくる
今の日本はそういう制限があんまりに少ない
望めば手に入ってしまうから難しい
「それは許容じゃないよ」と止める人も少ない



昔サークルで後輩は沖縄の某毒蛇を持って帰って飼おうとしてた
(それは世間的にやっちゃまずいと思った)
カエルやらヤモリやらなんでも片っ端から持って帰る後輩もいた。
それはそれで結構きちんと飼っていたけど
ケースの中ではどうしても魅力半減と思ってしまうし
それはその場で見るこそ美しい
私にはどうしてもその思いはある。
手に入れたい!と直結しないところは大きい
ただそれは誰もが共通に直結しないわけじゃない
カエルやヤモリもいかに自然に近づけるか、それに燃えるというようなことを言っていた
その考えも一つなのだと思う



その辺は難しい
鳥屋さんが鳥の魅力を語っても、若干ぽかーんとされるし
骨のよさを語っても、ドン引きするだけだし
「あ〜好きなんだねえ」というところ
そのすきを否定は誰にも出来ないし
止めることも出来ない
ものすごい力にもなる


そういうあれやこれやを考え語った一晩でした。
(意味不明なしめになってしまった…)