ito_kei2011-02-19

病院で看取るということもあったりするのですが
野生動物で死を見すぎたからか、
びっくりするほど動じず、ドライな自分がそこにいて
以前はもっと悲しかったはずじゃないの!?
自分はこうも死に慣れてしまっているのか…
心の動かなさに焦りを感じました。



やばいな、自分
だからと言って操作できる訳でなし
どうなっちゃうんだよ
なんかヤダな、そういう変化は


心の動かなさに焦る
そういう展開は考えていなかったので
そのことに妙に動揺しまくりでした。




でも結局、飼い主さんがお迎えに来て
ごあいさつしているときはやっぱりジーンとしてしまった
むしろ何か言葉を口にしようとすると、危ない、泣いちゃいそうだ。
うまい言葉が出ない。



「死」は逃げられないことはどうしてもあって
それがつい去年までは野生動物、悼むにはそこには心の交流はなくて
それはそれで一つでした。
やはり愛されている子たちの家族としての死を見ると
心の交流があって
心のつながりがみえる
それはそれでやはりジンとする
ちゃんと忘れていないようで、ジンとしつつも、そうあれる自分にちょっとほっとしました…。