奄美滞在のことを書こうと思っていたら、私の不在の間に元職場の方あたりがえらくごたついていたようです。
まあ、ちょっとだけ…
もう、部外者ではありますが…



元職場の、野生動物救護業務がなくなるというのは、昨年のうちから知っていました。
なくなる、もしくは縮小。
展開としては、まあ…知っている身としては、その先生(ボス)らしいというか、周りからしたら急な感じもするのでしょうか。
あまり不思議でもない展開ですが、それ以上の展望(野望?)は知らないところにありましたが
全国的に救護NO!にしたいという感じなのかな?




施設として救護業務をしなくなるのは、はっきりいってしまえば、どちらでもいいのです。
私が辞めたように、あそこであのままやっていても、金を浪費するだけになってしまう。
試行錯誤して無駄に時間がかかってしまう。
それは私がいた時以上のようだった。
アドバイスしようにも、メールしても返事もこなくなった。
いつの間にか、排他。
情報も届いてこないし、聞こえても来ない。
なんで情報共有、技術共有をしようとしないんだろう…



そこがなくなるだけなのはいいけど
ただ、「救護は必要ない!どこでもすべきではない!意味がない!それこそが正しい!」と言ってしまうのは違う。
是非すべき行為でもないけど、絶対すべきではない行為でもない。
難しいところですが。
立ち位置や種類や状況その他色々、条件は色々。




「生態系に寄与しない、だからすべきではない」
「市民への啓蒙の一環としての救護(いつも言ってる、生態系への興味を持ってもらうためのひとつ)」
見てる視線が違ってしまっていて、お互い(いや、臨床が生態系を理解していないわけじゃないと思う。「わかっちゃいない」と偏見の目で見られているのは確かだとも思う)
平行線どころか…
生態系に直接寄与すると信じて救護をやっている訳でもない。
もちろん、そうなるように努力はしないといけないことだし、救護というものがあれば、それを最大限に活かすべく尽力するのは当然なこと
生態系へのデメリットがあるのであれば、それを最小限にすべく努力するのも、また当然のこと。




以前「鳥が見たかったら山に行けばいい」と言っていたのを聞いたことがある。
その時、相手にしている対象(市民?or研究者?)が違うんだと分かった。
山で豆粒の鳥を見て、誰が保護意識を持つだろうか
興味のない人がそれをみて守りたいと思うだろうか。
まず、山に行ってみたいと思うきっかけを作らないと、山がそこにあることすら気がつかないんじゃないだろうか。
山に行く人(=研究者レベル?)はいい。
山に行かない人(=一般市民)はどうする?
鳥について熱く語っても、興味すらないんだから。
山に行く人を増やさないと、世論も動かないと思うのは、違う?



以前書いた日記ですが
http://d.hatena.ne.jp/ito_kei/20100711
こういう思いは、今でも変わりません。
(前半はムサ写真ばかりですが…苦笑)
こういうことって、救護を通さないで教えることって、とても難しいんじゃないだろうか。




私がいたころも、変え方は強引だった。
周りがついていけない(納得できていないわけじゃなくて、展開が早すぎる)
何かの時、メールで「一致団結して頑張りましょう!」と来た時に
「本当に一致団結なんでしょうか」と、返事をしたことがある。
(ボスに対して我ながらとんでもないですけど…)
ぐいぐい強引に進めすぎて、周りのしっかりした同意がついていってない。
一致団結というほど意志統一が出来ていたわけじゃない(少なくとも私は)
それを施設としての見解です!と出されると、施設の一員としては心境微妙な時は少なからずありました。
まあ…だからこそ、私も辞めたし、向こうも目の上のなんとやらがなくなってせいせいしたってところなんでしょうが…
あ、何度も言いますが、私とその先生はいがみ合っているとは思ってません。
私もぶつかるし、先生もその分きちんと返事もあった
そういう意味ではいい間柄だったとは思っています。
だから今回も「らしいなあ」と苦笑いの部分もあります。
展開(救護終了)が周りが納得できる状態ではないままに、決行したという感じになるのでしょうか。



ちなみに私が辞めたあと、事情で一旦受け入れ中止をして、再開して、また終了に伴って受け入れ終了して
結局半年程度しか救護業務はしていないことになる。
私の後任さんはクビってやつ?
たった一年
人材の使い捨てじゃないけど、ホントそう。
結局何だったんだろう、と思われても仕方ない。
そこのきちんとした合意があったかどうかは、分からない。



そんな気運の施設にいながら、私はそれでも救護はやる意義はあると思い続けています。
すべきではないという意見も分かる、その上で。


私もベストタイミングでやめたんだなと、本当に思ってしまったりするのでした。