ito_kei2007-09-04


土曜日(9月1日)の夕方に両親から連絡が入りました。
いまがたテツが亡くなった、と。


さっきまでいつもの場所で寝ていて、そこを通る時は誰もが必ず呼吸しているかみるのですが
次見たときは…だったそうです。
だから、まさに苦しまず、一番の形で、眠ったままにいってくれました。


その前日には、あまり動き回らないテツが両親の仕事終わりで帰ってくるのを玄関で待っていたそうです。
また夜もほとんど室内に入ろうとしないのに、入ってきたそうです
(この辺の話は、大泣きしながらだったので、細かく覚えていません)
どうしたのかな?と思ってたそうです。
今になって、挨拶に来てくれたんだね、と分かります。


私自身も、つい一週間前に会って、テツの状態を見てて、芳しくないのはわかっていました。
できるだけのケアをして
いっぱい話しかけて、
無理してがんばらなくていいからね、ゆっくりしていいんだからね、待っていなくていいからね、
と話しかけていました。
時間ぎりぎりまでいっぱい話しかけることが出来ました。
テツは嫌がることもなく、じっとしててくれました。


8月はテツの誕生月!と日記にも書きました、それが終わった9月1日。


そして両親の仕事が休みになる、土日にかけてです。


どこまでも、おりこうです…
本当に、テツはわかってそうしたんじゃないか、そう思えます。



私自身も、一週間前に会ったところであり、「いつどうなってもおかしくない」という覚悟が出来てました。
それがなんとなく日々すぎることで薄まっていく前に
こういうことになり、なんとなく、素直に受け入れられている気がします。
今はまだ、実感があまりにないのかもしれません。。
離れているから、帰省したときにもっと実感するかもしれません。
でも…本当にテツの気遣いを感じました。



苦痛を感じるような状態であり、それが治る見込みのないものであれば、私の手で楽にしてあげよう
そんな話も出ていた矢先
もっとも理想の形で、誰の手もわずらわせることなく、静かに。



週末は沢山泣きました。
でも後悔の涙ではありません。
いなくなってしまった、もう会えないということでの悲しみですが
もっとああしてあげれば、こうしてあげれば…というような後悔は本当にほとんどありません。
テツがそれくらい、老後もおりこうであったからです。

おうちの中は元々すきなのです。
連休中も、ほとんどを室内ですごしていました。
夏になってからは、気遣ってか、室内にあまり入ろうとせず
帰省したときも、ほとんどを外で過ごしていました。


病院に勤めていると、死とは離れられないことでもあります。
やはりおうちで看取るというのがベストということを実感しています。
飼い主さんのほとんどが「ただ苦しまずにいてほしい」と願っているのもよく知っています。
私自身も、イチ飼い主として、「おうちで苦しまないで、眠って欲しい」と思っていました。


だから、本当に親孝行な子です。


まだまだ、おうちにいるような気がします。


なんとなく「テツはじょうぶだから!大丈夫!」という気持ちで過ごしてきて
帰省したときにも、弱って来ているというのは感じたものの
介護が大変!ということもなく、穏やかに過ごしていました。
だから、帰省したということは私には大きかったです。
5月の連休のままだったら、もっとぐずぐずになっていたでしょう。
もっと後悔をしてしまったでしょう。


テツは、そんな思いをさせることもなく、最期を迎えてくれました。




たまに聞く、「何か予感がして、電話してみたら…」とか「夢に出てきて…」とか
そういった、ヒトと動物の奥深いところにある何か。
そういうものを、正直なところ、うらやましいと思っていました。
準備したらなることでもなく、望んでなることでもなく、
にぶい私、私にも、そういうことは、あるのかな?
そうずっと思っていました。
実際テツは、両親にも挨拶をして、一週間前に私や、姉にも会って
安心して眠ったのかもしれません。
これも不思議と、テツらしいなあ、と思います。



30代はきっと色々ある!と思っていましたが、一番最初にくる出来事が
人生の半分一緒に過ごしてきた、私の半身でもある、愛犬の死でした。
くるべくして来た物。
そして本当に本当になによりもテツが苦しまないでいてくれたこと。
テツに感謝することはいっぱいです。
一生忘れることはないでしょう。


これは今年の連休中の姿。
まだ普通に歩けていて、とても元気でした。


(優は状態はそれなりで、生きております)