搬入されてくる動物に対して、怪我の具合とか状態とかみて、あきらめるのが早くなっていることに気がつく。
まだ一年もしていないのに、大して経験などしていないのに、
「治療しても多分無理」
「苦痛を長引かせたり、更なる苦痛を与えかねない」
とか言って積極的治療を回避しようとする。
また治療が自分に委ねられた時にも腕がないから、まだ一人では無理だからと回避しようとする。
野生動物での「回復」は野生での復帰可能な状態への回復ととらえている。だから、生きていれば、飼育下であればというものはまた別。基本そう思っている。
過去のカルテを整理していると、今ではすぐにあきらめてしまうような状態でも治療を試みている。やはり、いい結果につながるものはほぼないけど… 先生たちもそういった経験から判断も早くなる。
そんな人伝えの経験からわたしもその判断までの道のりを随分ショートカットしてしまっている。
自分で経験もろくにせず、ダメの判断だけは早くて、まさに獣医じゃなくても出来ることばかり。
これでいいのか?やってみる、ダメもとで治療は試みてみる、もっとすべきじゃないの?自分でやってみてもないのに、過去に似たこと何度もしてダメだったからなんて。
その無謀さが新米だからこそ出来ることなんだろうし、たくさんの試行錯誤の上でこそ言えることもあるはずなのに。

命をもてあそぶ気はないけど、判断を人に真似て早くしなくても、考えうること出来うることやってみて、その後判断でもいいんじゃないか。

自分の人生は遠回りなのに、動物の一生の判断はショートカットじゃあなくてもいいだろう。