学会発表に向けて(というほどのものでもないけど…)昔のカルテを見る。

「あまりの情報の少なさに愕然とする」のは、これまでもあったし、日記にも書いてる。

カルテ整理がどんどん遠のいていくのは確か。見ると逆につらいとさえ思うから見えなくなってしまっているくらい。


ひとつひとつ、見るべき点を教わったり知ったり、知れば知るほどにいかに足らないことをもっともらしくしているがが分かってくる。


当時診た人に文句は言えないし、多分当時なりのこと…
きちんとした指導者のもとで基礎を知らないで突然専門家になるというのは、こんなにも危ないのかと思い知ることが増える。
私だってそれこそ数ヶ月前程度の単位で「愕然とする」ような診断治療してるから、同じなんだけど。



少し前に外部の先生方に質問相談した「レントゲン撮る時はどうやってポジショニングしているのか?ある程度みてくれは人に見せないから構わない。」(後で本文は確認して書き直します→メールアドレス変更した前かも…発見出来ない!!ショック!)
つまり自分が被ばくせずに、麻酔なしで、どうやって固定しているのかどうか?というようなところ。
人に見せないからいいって発想自体もうおかしい。
まっすぐきちんと撮らないと診断さえつかないから。
私が見ているのは内臓でも体躯の骨でもなく、下手すると触ったって分かるような手足の長い骨だけ。そこしか見ていなかった。全体をみてもいなかった。
大きな鳥であればあるほどに、骨一本折れることがどれだけの衝撃か。
骨一本折れることがそんなピンポイントの衝撃だけで済むことなのか。


こんな簡単で当たり前のことを思い知らされたのはついこの前の往診。
今更あんな情けない質問をしたんだな…と恥ずかしい気持ちにさえなる。診えもしないくせにさらにいい加減に撮って分かる訳ない。
そんなことにすら気がつくのにこんなに時間がかかる
誰一人、内部ではそんなことに気がつく人はいなかった。
ずーっとそれで誰も突っ込まない誰もおかしいって思いもしない
「ちゃんと診た」なんて言えない。
私にはそんな事言える自信はない。


きちんとした指導者のもとにいきたい(もう今更かもだけど…)
きちんと基礎を固めたい。
もっときちんと診断治療したい。