「いい骨折」なんて書いたら、三件も骨折が来ましたよ…

昨日の今日で来るとは、ある意味ありがたい?少なくとも、極端な話一昨日にはよく分からず出来なかっただろうことが出来たと思う。
指に刺すことはありませんでした!


しかし今日はそれ以上に疲れた。疲れたというか、ガッカリした。期待してるつもりなんてなかったけどそれ以上だった。吐き気がするほど。



ほんの数日前に書いた
「きちんと診断も評価もしないで、死の選択をするのはおかしい」みたいなこと。
おかしくないらしい。
骨折してるから。
それだけで選択していいらしい。
やったことはないけど。
でも治らないらしい。
やったことはないけど。
飼われている動物ならするらしい。
やったことはないけど。
飼われている動物ならする、つまり治るってことらしいけど
野生動物だから治らないらしい。
やったことはないけど、世話も大変らしい。
世話が大変らしいから、殺した方がいいらしい。


そのためには、「骨折だから」だけでいいらしい。
説明責任、プロとしての自覚、専門職である自覚
そういうの、こんなんでいいのか。
ここは臨床の現場ではないから(?)それくらいでいいそうな。


治るか治らないか、麻酔に耐えられるか耐えられないか、検査上での全身の評価、出来ていなかったかもしれないと悔いたのは数日前。
別にそれはいいんだって。
そこが足りなかったとか技量がないとか、別にいいんだって。
私が手を出してしまうことで「立場なし」状態になることを少しは気を使ってたけど(だって私は事務員だから)
全然そういうのじゃなかった。
ある意味技量のなさを焦って欲しかった。
全然そういうのじゃなかった。


希少種が来て殺せません(法律上希少種は捕殺の禁止)やるしかありません。もしトキやコウノトリが来たら?
緊急でやらなくてもトキ保護センターの人が来るし、コウノトリ保護増殖センターの人が来るからやれなくたっていいらしい。


説明責任と書いた気がするけど、「骨折してるから」「野生動物だから」でいいらしい。


全身評価は解剖してくれる人たちが見てくれるから、今自分がみえる必要はないらしい。
解剖したって分からないこともあるから。だから。


向上も切磋琢磨も教育も、「より良くならなければ」ではないそうだ。
少なくとも本人には必要ないらしい。



あまり細かく書けないけど、納得出来る説明をすることはなく、骨折だから。
それが「獣医学的診断により」という言葉になってしまう。


手術手伝って欲しいとも思わなかった。技量もない人がいても、治療する気がない人がいても、信用出来ないから自分で全部見る。


同じ獣医師として尊敬どころか獣医師と呼びたくはないです
「師」ってそういうものじゃないと思う。
不信とかそういうものでもなくなった。