病院に来て死んでしまった野生鳥獣はすべて解剖します
回収したような鳥の死体でも、必ず解剖します。
解剖後も、骨にしたり、一部剥製にしたり、出来る限り活用されるべく努力しています。


解剖という行為を「損失」という表現をされる。
剥製にはできないようにしてしまうからなのですが
場合によっては仮剥製にもしているし、臨機応変にはしているつもり
ただ、治療という手を出した個体に関しては、その治療で正しかったのか、見落としがなかったのか
診断が間違っていなかったのか、感染症を示唆するものがないか、その他特異的な病変がないか
あれこれ、見落とししない勢いで解剖します
(それも種類によりますが)
だから、ばらばらにまでなります。


確かにそこまですると、仮剥製にはできなくなるから、外部形態的には保存価値を失うことにはなる
ただそれ以外の保存や検索行為がそれに劣る行為かどうかは、言い切れないと思う。
それぞれに見合ったことをして、出来る限り保存して、それじゃあダメなのか?
「損失」という、なんだか悪いことをしているかのような表現に、とても複雑になった。
っていうか今までそう思われてきてたってことか…



骨格という形で行われる研究分野もある
外部形態保存に劣るわけじゃないと思う。
ばらばらにするから致し方なく骨にしているわけでもない。



奄美には収蔵保存できる場所はほとんどないから、でも、骨格までいけば保存はそれほどまでに難しくはないと思う。
奄美にしかいない種類がたくさんいる中で、奄美に骨も剥製もほとんどない種類もたくさんいる。
せめて骨格だけでも、ある程度もっておくことはしないのか…



仮剥製にして保存してもらうべく、外部に出す
保存は奄美の中ではない。
奄美の宝」を外に出してしまうのと、骨でも奄美で保存するのと
…やっぱりどっちの方が上で、下でってのはないと思う。どっちも大事なのだから。


仮剥製は私でも出来るし、奄美で全く保存できないわけではない。
私があまりしないのは、奄美で「使える道具」がまだ少ないから
教育材料で使える道具たちがある程度増えてきて、それなりにいろいろ対応できるようになってきたら
それもありだと思う
まだまだ少なすぎて、解剖の時はどこをどう残そう、どう使おう、どう説明してみようかと考えながらも進める
次世代を育てていかなかったら、保全も保護も意味がない
私が担える分野はこういうところだから、道具も欲しい。
そういう教育貢献も、ダメなのか?損失と言われて劣る行為なのか?



主に6月に作った翼の皆様
いくつか嫁入り(ほかの場所へさしあげた)させましたが
当然、これもこれから活用させたいからこうしたもの。


翼を触ってみて、硬い、柔らかい、種類によって感触が違うこと
意外に軽いこと、意外にきれいなこと
機能的にできていること、種類が違っても生活が近いと形も似てくること
いろんなことが伝えられます。


損失だけじゃないってことを、いつかいつかいつか!!ちょっとでも伝われば…!!