ito_kei2009-10-20


憧れる人はたくさんいる。


そんな人たちに追い付きたくて、いつか対等になりたくて。


同じ土俵に立てるだけの環境にはいるはずなのに。
施設的資金が足りないとか(個人的資金は別!)設備が足りないとか
そんなのは言い訳で、もっと全然ないところだってたくさんある。
むしろうちは設備はある方だろうな。


憧れの人たちはある意味手の届く(恐れ多いですが…)同じ線にきっといる。


どうして憧れるんだろう?
そんな人たちは命に真摯だったり、常に一生懸命なのがわかるからだ。
手を抜いたりしないし、睡眠時間を削ってでもそこに向ける。
「早死にしそう」なんて冗談で言ってるけど、そんなくらいの人たちはたくさんいて
そんな姿にあこがれる。
いや、早死にしそうなことがじゃないですよ。
一生懸命ってカッコイイ、みたいなところかもしれません。


ある大先輩は実習に行ったらひっきりなしに電話がかかってきていた。全部ちゃんと対応していた。
沖縄でボランティア作業した時も、鳴ってばかりの電話、自分の病院もあるのに、現場にもやってくる。
そして私のようなものにも丁寧に対応してくれた。
自分の経営的利にはならないのに、たくさんのことを抱えていた。
実習など手伝ってくれる利点はあるけど、手間も実はとてもかかること。でも、受け入れてくれる。
それを気にさせないほどのバイタリティー
別の大先輩も全国、あるいは世界各地に講演に行き、往診に行き、野生動物について訴える。
寝ている暇あるんだろうかと正直に思った。
他にも、憧れる大先輩たちはいつか自分が「ああなりたいなあ」と思い始めた10年近く前と変わらず、第一線を走っている。
お世話になった分、返すべくはそれに見合った姿で返すしかないだろう。


もう自分は学生じゃなくて、同じように現場にたつプロなのだ。
周りから見たら、もう同じ立場なのだ。
手を抜いたら、いつまでも追い付かないまま、それを何かと言い訳はいくらだって出来る。
誰も責めないし、自分の中で納得してしまったらそれまで。



いつからか動物を世話しているうちにわからないことがあったり
治療をしながら死なせてしまったり、
何もしないうちにあきらめてしまったり
そしれまた同じ症状の動物が来ても、やっぱり何もできないでいる。
餌はこうだとか、こういう状態ってこうだとか
憧れの大先輩たちに聞いてた質問のうち、半分以上は結構基礎的なことでもあった気がする。



記録としてのカルテがろくに残っていなかったり、写真がたった一枚だけだとか(ないときもある)
いつのまにか「そんなの来たことあったっけ?」なんて忘れている瞬間、それっていいのかと思ってしまった。
なんて薄っぺらい命だろう。
どれだけもったいないことをしているんだろう。
憧れの大先輩は、そんな当たり前の基礎をたくさん積み重ねてきたからこそすごいんじゃないのか
(あるいは、そうであってほしいイメージ像)
どうしてもあっという間に済んでしまう命が多いけど、もっとちゃんと向き合おうといつの時か思った。
そう思うようになってから、気がつくことも増えた。見えるものも増えた(ような気がする)


憧れの人たちはその姿勢が憧れられるんだなと思った。
すごい神業的技術もさることながら。
面倒くさく、いやになってしまうだろうことはきっとあるのに、それでも走っている。
そして知らないうちに、自分の背中を見ている次の世代がいる。
いつまでも憧れの先輩が憧れのままでいてくれるように、自分も追いかけられるような背中でいなきゃなあと思う。


まあまあ、まだまだ、彼らの背中に追いつくこともできませんし
背中まだ見えてないくらいですけども。



※あ、写真はまっったくもって関係ありません。