ここのところタヌキの採血や点滴をする機会が続く。


すでに「どうにもならん」かもしれないと思える位の衰弱状態。
体温も測れないくらいに下がっていて、視力もはっきり分からないくらい意識もうろう、無抵抗
重度脱水の重度衰弱。


でも、「助からん」と決めるには私は経験が足りないと思う。
何年も何年も何十何百と扱って初めて「助からん」と言えるような気がして
「助からん」言うは簡単、でも「本当に何をしても助からんのか」と言ったら、そこまで私はやることやっているのだろうか。
タヌキなんて、年に20頭も来ないのに
簡単に「助からん」という言葉が出そうになる。
いつから自分はそんな偉い立場になったというんだろう。


逃げるのは簡単で、野生動物だからそこに責任はなくて、仕方なかったと言って自分を納得させてしまえばすぐすむこと
でもこんな場所だからこそ、そんな簡単に逃げちゃいけないと思うようになった。
そんな風に簡単に逃げてばかりで今後何ができるというんだろう。


ここに来たばかりのころは、よくわからないからとりあえず皮下補液をして、抗生剤を打って、終わりだった。
何例もそれでは助からなかった。
去年度に入って、もう一歩すすめてみさせてもらうことにした。
点滴してみる。
点滴なんて久しぶりでへたくそだから、もたもたもたもた。
ちょっとでも元気があると数分もしないうちに食いちぎり、そこまで元気のないやつは言うまでもなく。
何例も助からなかった。


点滴の速度が違う?抗生剤の種類が違う?入れる薬剤が違う?何が足りない?
今のところ「どうにもならん」と言えそうなレベルの個体を助けられたことはない。
でも、出来る限りを尽くしたとはまだ思わない。
やれば「もしかしてあれが足りなかったんじゃないか」と思えることがいっぱい出てくる。


とりあえず来たばかりのころにやってたやり方(皮下補液)では間に合うわけないだろ!ばか!と今は思うし
とりあえず去年までやってたやり方(点滴…でも速度が遅すぎる)ではそのやり方じゃあ間に合うわけないだろう!ばか!と今は思う。
まだ、余地はある、やれていないことはたくさんある。
それが出来るようになったら逃げる命が逃げないかもしれない。


エゴと言えばエゴで、意識もうろうで抵抗する力すらない野生動物をむりやり実験的に延命しようとしているようなものだと思う。
申し訳ないと思うことはたくさんある。
でも、頼む、私に治療行為(という名前のエゴ)を通させてくれといつも思う。
前回こうすればよかったかも…と思ったことを今回する、ダメ、じゃあ次回こそはと思う。
思わせてほしい。



いつか「何やっても助からない」ときっぱり言えるのかもしれないけど
そう言えるまで、まだ足りない。
私のやっていることはただのエゴのおしつけだとは思う。
その葛藤ばかり。


今日来たタヌキはどうだろう。
自然の中で朽ちたかったろう。
放っておけば明日にも持たないものを、明後日にしているだけかもしれない。
何回これを繰り返したら、明日にも持たないものを、自然にもう一度戻せるんだろう。
私になぞそんなことはできる日が来るんだろうか。



気になって帰れない、ずっと見てることはストレスになるから、そっと物音に気をつける。
自己犠牲はするなと言われる。
自己犠牲とは思わないけど、自己満足なだけかもね。