土曜にあったセミナー、救護された動物を環境教育としてどう使うべきか、使えるのか?
みたいな内容でした。
海外のやり方と、日本の現状
とてもわかりやすく、深く考えさせられる内容でした。


以前日記にも書きましたが、猛禽等、据えた状態で人に公開することは
一歩間違うと「すごいな、いいな、かっこいいな、飼いたいな!」という方面を助長する危険があります。
生態系保全に目を向けてほしい意図と違う方面に持って行ってしまいうる危険性
やはりこの点は強く指摘されていました。


そもそも海外(アメリカ)では猛禽をペット飼育という概念そのものがなくて(鷹匠はライセンス、自分でとっ捕まえる)
すでにその時点でスタートが全く違うようでした。
知ってるようで知らなくて、そこまで全く違うとは。
一方で日本はネットでだって何でもお金さえあれば買えちゃう世界
「いいな!」と思って本当に手に入れることなんで造作もないことになります。
それが海外のWC(野生捕獲)だったりして、海外の野生動物を圧迫することになり
安易な飼育で逸脱してしまえば日本の生態系にもおおいに影響を及ぼしうる


確かに日本は無法地帯状態
ネットで見ればぎょっとするような動物さえ売っている。
そんなことを思ってたらテレビでまさに「かわいいペット」とか言ってナマケモノやサルが「お勧め!」されている。



結論として、傷病動物を用いた(この場合リリース不可となった、特に猛禽類の実物を持ってきて行うもの)教育というのは現状ではすすめられない、ということ。
あくまでも講師の先生が今まで海外で経験してきたり、日本の現状を見て出た結論であって
それがすべて絶対そうである!というわけではないでしょう。
ひとつの意見、では、みなさんはどう思いますか?というような。


じゃあどうしたらいいんだろう。
リリース出来ない・一般譲渡もできない動物たちは、何の意味があって生きているんだろう。
ベースがすでに海外とこんなにも違うなら、右へならえじゃなくて、また違う活用方法ってないのだろうか。
文化も概念も違えば、教え伝え方もすべて違って来ないと見よう見まねでは出来ないんじゃないだろうか。



なんとなく、それで
やっぱりリリース出来ない動物はいても意味ないし!
希少種だから安楽死選択ができない(補殺の禁止なので)はダメだよね!
そうだそうだ!
救護動物で環境教育はやっぱり無理があるんだよ!
そうだそうだ!
なんて上で盛り上がっていて
もし法律の解釈などが変わって、希少種でもそういう選択が可能になったら
真っ先に今いるリリース不可個体は待ってましたとばかりに殺されるんだろうか、と思うと
それはそれで、ずいぶんだなあ…と思ってしまった。
ただその法律解釈変更待ちなんだろうか。
なんだか、今いる個体たちを殺したくてしょうがない!みたいなものを感じて
それはそれで何か違う…と、私は思ってしまった。
次々来る復帰もできそうもなく、苦痛を伴う状態の場合の選択肢は確かに欲しい。
すべてを生かせという意味ではないし、そういう選択がないと現実困る事態は確かにあるけど。


現状それが出来ず、飼育している状態ならば
どうしたらよりよい「何か」が出来るんだろう。
マイナス効果を出来るだけ生まない方法がないものか。



据えやある程度の人慣れをさせているのは、管理がより適切にできるように
お互いのストレス軽減のために(人が怖い対象のままではストレスでしかないから)行っているところもあるし
その流れで「じゃあせっかくだし、人に見てもらえないか」という欲みたいなものがあるけど
なんとなく、教育に使えない=人慣れさせる意味ない、という解釈をされているようで
それも違う…と思ってしまう。



いろいろ考えさせられるセミナーでした。