ノウサギだと思っていたウサギは、ノウサギではありませんでした…


もう、全然違う種類になるのですが、正直本当に分かりませんでした。
「ウサギが来ます」と言われて、来るものはノウサギだとしか思わない
疑いがそこに全くないというのは、違うものすらそう見えてしまうといいましょうか…


よくトビと他の猛禽を間違えていたり
シギと言われてサギがきたり
ヒヨドリと言われてムクドリがきたり
イタチとフェレットが分からないと相談されたり
ああ…そういうことなのね
こういう感覚なんだ…
分からないというのは、本当に分からないものでした。
「え!なんで!全然違うじゃん!」と思ってたけど、いやいや、分からんね。



違うと分かると全然違うように見えてくる
そして、その子(普段野生動物には「子」という表現自体しません。もうこの時点で変わってる)が野生動物ではないと分かると、もう見方も完全に変わります。
自然に朽ちることが野生だと思うのに、そこに悲しさはないのに
野生じゃないと、それが不憫に感じるというか、悲しいものに映る
そして、もう少し何とかしてやりたいとも思ってしまう
手を出す範囲は明らかに伸びる(ただ、野生動物ではないということは、うちの施設の管轄ではなくなる)



逃げたくても逃げられないんじゃなくて
人は怖くはなかったんだ…
逃げる気なんてなかったのか…